岡本 綺堂
半七捕物帳
一
わたしの叔父は江戸の末期に生れたので、その時代に最も多く行はれた化物屋敷の不入の間や、嫉み深い女の生靈や、執念深い男の死靈や、さうしたたぐひの陰慘な幽怪な傳説を澤山に知つてゐた。しかも叔父は「武士たるものが妖怪などを信ずべきものでない。」といふ武士的教育の感化から、一切これを否認しようと努めてゐたらしい。その氣風は明治以後になつても失せなかつた。わたし達が子供のときに何か取留めのない化物話などを始めると、叔父はいつでも苦い顏をして碌々に相手にもなつて呉れなかつた。
その叔父が唯一度こんなことを云つた。
「併し世の中には解らないことがある。あのおふみの一件なぞは……。」