岡本 綺堂

半七捕物帳

一

江戸っ子は他国の土を踏まないのを一種の誇りとしているので、大体に旅嫌いであるが、半七老人もやはりその一人で、若い時からよんどころない場合のほかには、めったに旅をしたことが無いそうである。それがめずらしく旅行したということで、わたしが訪ねたときは留守であった。老婢の話によると、宇都宮の在にいる老人の甥の娘とかが今度むこを取るについて、わざわざ呼ばれて行ったということであった。それから十日ほど経つと、老人から老婢を使によこして、先日は留守で失礼をしたが、きのう帰宅しました、これはめずらしくもない物だが御土産のおしるしでございますと云って、日光羊羹と乾瓢とを届けてくれた。

その挨拶ながら私が赤坂の家をたずねたのは、あくる日のゆう方で、六月なかばの梅雨らしい細雨がしとしとと降っていた。襟に落ちる雨だれに首をすくめながら、入口の格子をあけると、老人がすぐに顔を出した。

「はは、ばあやにしてはちっと早い。きっとあなただろうと思いました」

青空文庫の作品カード