岡本 綺堂
半七捕物帳
一
文久元年三月十七日の夕六ツ頃であった。半七が用達から帰って来て、女房のお仙と差し向いで夕飯をくっていると、妹のお粂がたずねて来た。お粂は文字房という常磐津の師匠で、母と共に外神田の明神下に暮らしていることはすでに紹介した。
「いい陽気になりました」と、お粂はまだ白い歯をみせて笑いながら会釈した。「姉さん。今年はもうお花見に行って……」
「いいえ、どこへも……」と、お仙も笑いながら答えた。「なにしろ、内の人が忙がしいもんだから、あたしもやっぱり出る暇がなくってね」
岡本 綺堂
一
文久元年三月十七日の夕六ツ頃であった。半七が用達から帰って来て、女房のお仙と差し向いで夕飯をくっていると、妹のお粂がたずねて来た。お粂は文字房という常磐津の師匠で、母と共に外神田の明神下に暮らしていることはすでに紹介した。
「いい陽気になりました」と、お粂はまだ白い歯をみせて笑いながら会釈した。「姉さん。今年はもうお花見に行って……」
「いいえ、どこへも……」と、お仙も笑いながら答えた。「なにしろ、内の人が忙がしいもんだから、あたしもやっぱり出る暇がなくってね」