伊丹 万作
演技指導論草案
○演技指導という言葉はわずかにこの仕事の一面を表出したにすぎない。この仕事の真相は指導でもなく、監督でもなく、化育でもなく、叱正でもない。最も感じの似通った言葉をさがせば啓発であろうが、これではまだ少し冷たい。
仕事中我々は意識して俳優に何かをつけ加えることもあるが、この仕事の本質的な部分はつけ加えることではなく、抽き出すために費される手続きである。
○俳優から彼の内包せる能力を抽き出すためには必ず多少の努力を要するものであるが、抽き出そうとする能力があまりにも深部にかくされており、俳優自身もその存在を確信しないような場合には我々の仕事は著しく引き伸ばされ、仕事の形式は訓練という言葉に近づいてくる。
○ある時間内の訓練が失敗に終ったとしてもあきらめてしまうのはまだ早い。その次に我々が試みなければならぬことは、さらに多くの時間と、そしてさらに熱烈な精神的努力をはらうことである。たとえばめんどりのごとき自信と執拗さをもって俳優を温め温めて、ついに彼が孵化するまで待つだけの精神的強靱さを持たなければならぬ。