折口 信夫

妣が国へ・常世へ

一

われ/\の祖たちが、まだ、青雲のふる郷を夢みて居た昔から、此話ははじまる。而も、とんぼう髷を頂に据ゑた祖父・曾祖父の代まで、萌えては朽ち、絶えては※(「((山/追のつくり)+辛)/子」、第4水準2-5-90)えして、思へば、長い年月を、民族の心の波の畦りに連れて、起伏して来た感情ではある。開化の光りは、わたつみの胸を、一挙にあさましい干潟とした。併し見よ。そこりに揺るゝなごりには、既に業に、波の穂うつ明日の兆しを浮べて居るではないか。われ/\の考へは、竟に我々の考へである。誠に、人やりならぬ我が心である。けれども、見ぬ世の祖々の考へを、今の見方に引き入れて調節すると言ふことは、其が譬ひ、よい事であるにしても、尠くとも真実ではない。幾多の祖先精霊をとまどひさせた明治の御代の伴大納言殿は、見飽きる程見て来た。せめて、心の世界だけでなりと、知らぬ間のとてつもない出世に、苔の下の長夜の熟睡を驚したくないものである。

われ/\の文献時代の初めに、既に見えて居た語に、ひとぐに・ひとの国と言ふのがある。自分たちのと、寸分違はぬ生活条件を持つた人々の住んで居ると考へられる他国・他郷を斥したのである。「ひと」を他人と言ふ義に使ふことは、用語例の分化である。此と幾分の似よりを持つ不定代名詞の一固りがある。「た(誰)」・「いつ(=いづ)」・「なに(何)」など言ふ語は、未経験な物事に冠せる疑ひである。ついでに、其否定を伴うた形を考へて見るがよい。「たれならなくに」・「いづこはあれど(=あらずあれど)」・「何ならぬ……」などになると、経験も経験、知り過ぎる程知つた場合になつて来る。言ひ換へれば、疑ひ

青空文庫の作品カード