高村 光雲
幕末維新懐古談
師匠東雲師の家が諏訪町へ引っ越して、三、四年も経つ中に、珍しかった硝子戸のようなものも、一般ではないが流行って来る。師匠の家でもそれが出来たりしました。障子の時は障子へ「大仏師高村東雲」など書いてあったもの。
仕事は店でやったものです。店には兄弟子、弟弟子と幾人かの弟子がいますが、その人々はただ腕次第、勉強次第でコツコツとやっている。別に現今のよう、その製作が展覧会などで公開され、特選とか推薦とかいって品評されるわけでもなく、特にまた師匠が明らさまに優劣を保障するわけでもないが、何時となく、誰いうとなく、腕の好いものと、拙いものとはチャンと分っている。それは自然自他ともにそれを感ずるのであって、自分がいかにお天狗でも人はそれを許さず、人の評判ばかり高くて虚名がよしあるにしても、楽屋内では、それを許さない。だから自然と公平な優劣判断のようなものが、仲間のなかに分っていたものです。
たとえば、或る仏師の弟子の製作があるとして、それが塗師屋の手に渡る。塗師屋の主人は、それを手に取って、「オヤこれは旨いもんだ。素晴らしい出来だ。何処から来たんだ。誰の作だ」と訊くと、「それは、何さんの所の弟子の何さんという人の作だ」という。それで、その作をした人の名が一人に分り、二人に記憶され、今度、たとえば、その作人がその塗師屋へ使いに行くとして、親方の挨拶が、ガラリ違って、丁寧になるという塩梅、それはおかしなものであります。
右の如く、弟子たちは、仕事のことに掛けては、一心不乱、互いに劣るまい、負けまいと、少しの遠慮会釈もなく、仕事本位の競争をしますが、内面の交わりとなると、それはまた親密なものであ