内藤 湖南
支那の書目に就いて
今日は支那の書目に就いて申上げるのでありますが、第一に申上げたいのは、支那の書目の分類の仕方の變遷でございます。それから其の前に一寸支那の書目といふものは、いつ頃から出來たかといふことを申上げて置きたいと思ひますが、これはもう圖書館の事に御關係の方は、どなたも御承知のことでありまして、現存して居る目録では漢書の藝文志が一番古いといふことになつて居ります。これはいつ頃出來たかと申しますと、漢書の出來ましたのは、後漢の班固が之を作つて、さうして班固の生きて居る間には十分出來上らずして、其の妹の有名な曹大家といふ女の學者が之を完成したといふことになつて居りますから、班固の歿くなりました少し後に出來たものと思はれますが、さうしますと、西洋紀元の一世紀の終り頃であります。しかしこの漢書の藝文志と申しますものは、これは班固が自分で初めから著述したのではなくして、劉※(「音+欠」、第3水準1-86-32)の七略といふものに依つて、其の六略を其の儘に採つて、其の一つの輯略といふものを省いたといふことになつて居ります。
劉※(「音+欠」、第3水準1-86-32)の七略を作ります來歴は、又其の先代から受繼ぎましたので、劉※(「音+欠」、第3水準1-86-32)の親の劉向、これが漢の宗室で、有名な學者でありまして、漢の成帝の時に目録編纂のことを申付けられました。一體この、目録の出來ますといふことは、大抵、本が散亂した後、それがもう一度集まつて來る、つまり本が散亂するといふ災難と、それから集める苦心とを考へた時に起るやうであります。それで漢の時の目録の編纂は、秦の始皇の時に本を燒いたといふことがありま