萩原 朔太郎

夏帽子

青年の時は、だれでもつまらないことに熱情をもつものだ。

その頃、地方の或る高等学校に居た私は、毎年初夏の季節になると、きまつて一つの熱情にとりつかれた。それは何でもないつまらぬことで、或る私の好きな夏帽子を、被つてみたいといふ願ひである。その好きな帽子といふのはパナマ帽でもなくタスカンでもなく、あの海老茶色のリボンを巻いた、一高の夏帽子だつたのだ。

どうしてそんなにまで、あの学生帽子が好きだつたのか、自分ながらよく解らない。多分私は、その頃愛読した森鴎外氏の『青年』や、夏目漱石氏の学生小説などから一高の学生たちを聯想し、それが初夏の青葉の中で、上野の森などを散歩してゐる、彼等の夏帽子を表象させ、聯想心理に結合した為であらう。

とにかく私は、あの海老茶色のリボンを考へ、その書生帽子を思ふだけでも、ふしぎになつかしい独逸の戯曲、アルト・ハイデルベルヒを聯想して、夏の青葉にそよいでくる海の郷愁を感じたりした。

青空文庫の作品カード