原 民喜
夏の花
わが愛する者よ請ふ急ぎはしれ
香はしき山々の上にありて※(「けものへん+章」、第3水準1-87-80、12-上-3)の
ごとく小鹿のごとくあれ
私は街に出て花を買ふと、妻の墓を訪れようと思つた。ポケットには仏壇からとり出した線香が一束あつた。八月十五日は妻にとつて初盆にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑はしかつた。恰度、休電日ではあつたが、朝から花をもつて街を歩いてゐる男は、私のほかに見あたらなかつた。その花は何といふ名称なのか知らないが、黄色の小瓣の可憐な野趣を帯び、いかにも夏の花らしかつた。