折口 信夫
若水の話
一
ほうっとする程長い白浜の先は、また目も届かぬ海が揺れてゐる。其波の青色の末が、自づと伸し上る様になつて、頭の上まで拡がつて来てゐる空だ。其が又、ふり顧ると、地平をくぎる山の外線の、立ち塞つてゐる処まで続いてゐる。四顧俯仰して目に入るものは、此だけである。日が照る程風の吹くほど、寂しい天地であつた。さうした無聊な目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)らせる物は、忘れた時分にひよつくりと、波と空との間から生れて来る――誇張なしに――鳥と紛れさうな刳り舟の姿である。遠目には磯の岩かと思はれる家の屋根が、ひとかたまりづゝ、ぽっつりと置き忘られてゐる。琉球の島々には、行つても/\、こんな島ばかりが多かつた。
我々の血の本筋になつた先祖は、多分かうした島の生活を経て来たものと思はれる。だから、此国土の上の生活が始つても、まだ万葉人までは、生の空虚を叫ばなかつた。「つれ/″\」「さう/″\しさ」其が全内容になつてゐた、祖先の生活であつたのだ。こんなのが、人間の一生だと思ひつめて疑はなかつた。又さうした考へで、ちよつと見当の立たない程長い国家以前の、先祖の邑落の生活が続けられて来たのには、大きに謂はれがある。去年も今年も、又来年も、恐らくは死ぬる日まで繰り返される生活が、此だと考へ出した日には、たまるまい。
郵便船さへ月に一度来ぬ勝ちであり、島の木精がまだ一度も、巡査のさあべるの音を口まねた様な事のない処、巫女や郷巫などが依然、女君の権力を持つてゐる離島では、どうかすればまだ、さうした古代が遺つてゐる。稀には、那覇の都にゐた為、生き詮なさを知つて、青い顔して戻つて来る若者なども、波と