芥川 竜之介

百合

良平はある雑誌社に校正の朱筆を握っている。しかしそれは本意ではない。彼は少しの暇さえあれば、翻訳のマルクスを耽読している。あるいは太い指の先に一本のバットを楽しみながら、薄暗いロシアを夢みている。百合の話もそう云う時にふと彼の心を掠めた、切れ切れな思い出の一片に過ぎない。

今年七歳の良平は生まれた家の台所に早い午飯を掻きこんでいた。すると隣の金三が汗ばんだ顔を光らせながら、何か大事件でも起ったようにいきなり流し元へ飛びこんで来た。

「今ね、良ちゃん。今ね、二本芽の百合を見つけて来たぜ。」

金三は二本芽を表わすために、上を向いた鼻の先へ両手の人さし指を揃えて見せた。

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