ドストエフスキー フィヨードル・ミハイロヴィチ
鱷
一
己の友達で、同僚で、遠い親類にさへなつてゐる、学者のイワン・マトヱエヰツチユと云ふ男がゐる。その男の細君エレナ・イワノフナが一月十三日午後〇時三十分に突然かう云ふ事を言ひ出した。それは此間から新道で見料を取つて見せてゐる大きい鰐を見に行きたいと云ふのである。夫は外国旅行をする筈で、もう汽車の切符を買つて隠しに入れてゐる。旅行は保養の為めと云ふよりは、寧ろ見聞を広めようと思つて企てたのである。さう云ふわけで、言はゞもう休暇を貰つてゐると看做しても好いのだから、その日になんの用事もない。そこで細君の願を拒むどころでなく、却て自分までが、この珍らしい物を見たいと云ふ気になつた。
「好い思ひ付きだ。その鰐を一つ行つて見よう。全体外国に出る前に、自分の国と、そこにゐる丈のあらゆる動物とを精しく見て置くのも悪くはない。」夫は満足らしくかう云つた。
さて細君に臂を貸して、一しよに新道へ出掛ける事にした。己はいつもの通り跡から付いて出掛けた。己は元から家の友達だつたから。