若山 牧水
樹木とその葉
旅と云つても、ほんの一夜泊の話なのですが――。
私のいま住んでゐます沼津から程近く、六七ヶ所の温泉があります。
なかの吉奈温泉から、病氣でいま此處に來てゐる、おひまならお遊びにおいで下さいませんかといふ思ひがけない手紙がF――さんから來ました。F――さんは我々の歌の社中の人で、そして踊りの師匠として世に聞えた婦人なのです。夙うから病氣入院中の事をば知つてゐたが、もう湯治に出かけられる樣になられたかと喜びながら私は早速家を出て、夕方早くその宿に着きました。
田舍に似合はぬ大きな宿ですが、その最も奧まつた一室が――Fさんの部屋でした。きちんと片附いたなかに思つたよりもなほ元氣よく美しく坐つておゐでゝした。縁側からすぐ小さな池となり、池の向うが築山、築山の向うはもう天然の山で峻しい坂に欝蒼と樹木が茂り、その茂みの中には他處から引かれたのでせう、きれいな岩を傳うて愛らしい瀧となつて流れ落ちてゐました。