若山 牧水
樹木とその葉
日向の山奧から出て來て先づ私の下宿したのは麹町の三番町であつた。其處の下宿屋から早稻田の學校まで、誰かに最初教へて貰つた一すぢ道を眞直ぐに往復するほか、一寸した※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)り道をもようせずに通つてゐたのが二三ヶ月以上も續いた。散歩をすると云へば靖國神社の境内から九段坂を降りて神田の表神保町の本屋を見て歩く、僅かにそんなことであつた。そのほかに遠出をするといふのは田舍者にとつて如何にも億劫な、恐しいことであつたのだ。
それが、或日どうしたことであつたか、大方受持教授の休講の時間でゝもあつたらうとおもふ、ふら/\と學校を出て穴八幡の境内に入り、更にその森つゞきの木の下道(あとでその森が戸山學校であることを知つた)をくゞつて出外れて見て驚いた。おもひもかけぬ大きな平野が其處に開けてゐたのである。
まつたくその時の驚きはいま考へても可笑しい樣である。何しろ山と山との間の峽谷に生れて、今まで曾てさうした大きな野原をば見た事がなかつたのである。しかもそれが二三ヶ月以上もぐつしりとかぢりついて離れなかつた自分の學校のツイうしろから開けてゐやうとは、夢にも思ひがけぬところであつたからである。
驚きのあまり、授業の事をも忘れて私は恐る/\なほその小徑を野原の方へ歩いて行つた。そして行き着いたのが戸山ヶ原の櫟林であつたのだ。驚きはいつか一種の哀愁に變つて、足音をぬすむ樣にして私は其處に群立してゐる木から木の間の下草を踏み分けて歩き※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つたものであつた。明治三十七年初夏のことであつた。