寺田 寅彦
高知がえり
明後日は自分の誕生日。久々で国にいるから祝の御萩を食いに帰れとの事であった。今日は天気もよし、二、三日前のようにいやな風もない。船も丁度あると来たので帰る事と定める。朝飯の時勘定をこしらえるようにと竹さんに云い付ける。こんどはいつ御出でかと例の幡多訛りで問う。おれの事だからいつだかわからんと云ったような事を云うてザブ/\とすまし、机の上をザット片付けて革鞄へ入れるものは入れ、これでよしとヴァイオリンを出して second position の処を開けてヘ調の「アンダンテ」をやる。1st とちがって何処かに艶があってよい。袷を綿入に着かえて重くるしいのに裾が開きたがって仕方がない。縁側へ日が強くさして何だか逆上する。鼻の工合が変だが、昨日の写生で風でも引きやしなかったかしらん。東の間では御ばあさんの声で菊尾さんを呼んでいる。定勝を尋ねて来いといいつけている。着物の寸法も取らねばならんのに朝から何処へいったのかとブツブツ。間もなく菊尾は帰ったが、安田にも学校にも居ませんと云うので、御ばあさんまたブツブツ。そのうち定勝さんが帰った。着物の寸法を取らねばならぬに何処へ行っていたか。この忙しいのにどんなに世話を焼かすか知れぬと頭ごなし。帰って来たとて宅に片時居るでもなし。おまけに世話ばかり焼かして……。もうそう時々帰って来るには及ばぬ……とカンカン。誰れか余所の伯母さんが来て寸を取っているらしい。勘定を持って来た。十五円で御釣りが三円なにがし。その中の銀一枚はこれで蕎麦をおごろうと御竹さんの帯の間へ。残りは巾着へ、チャラ/\と云うも冬の音なり。今日は少し御早くと昼飯が来て、これでまたしば