長谷川 時雨
旧聞日本橋
一
お星さまの出ていた晩か、それとも雨のふる夜だったか、あとで聞いても誰も覚えていないというから、まあ、あたりまえの、暗い晩だったのであろう。とにかく、あたしというものが生まれた。
戸籍は十月の一日になっているが、九月廿八日だとか廿九日だとか、それもはっきりしない。次々と妹弟が生まれたので、忘れられてしまったのか、とにかく、露の夜ごろ、虫の音のよいころではあるが、あいにく、武蔵野生まれでも、草の中でも、木の下でも生まれず、いたって平凡に、市中の、ある家の蔵座敷で生をうけた。明治十二年、日本橋区通油町壱番地。ちっぽけな、いやな赤ん坊だったので、何処からか帰って来て見た父は、片っぽの手にとって見てすぐ突きかえしたと、よく母が言っていた。
父には三人目の子、母には初児だが、あたしが生まれたときには、姉も兄も、みな幼死していなかった。清潔ずきで、身綺麗だった祖母に愛されたとはいえ、祖母はもう七十三歳にもなっていたので、抱きかかえての愛ではなく、そしてまた、祖母の昔気質から、もろもろのことを岨まれもしたり、そのかわりに軽薄に育たなかったという賜ものをも得た。