寺田 寅彦
錯覚数題
一 ハイディンガー・ブラッシ
目は物を見るためのものである。目がなければ外界の物は見えない。しかし目が二つあれば目で見えるはずのものがなんでも見えるかと言うと、そうは行かない。眼前の物体の光学的影像がちゃんと網膜に映じていてもその物の存在を認めないことはある。これはだれでも普通に経験することである。たとえば机の上にある紙切りが見えないであたり近所を捜し回ることがある。手に持っている品物をないないと言って騒ぐのは、漫画のヒーロー「あわてものの熊さん」ばかりではない。
留守にたずねて来た訪問客がだれだかよくわからない場合に、取り次いだ女中に「鬚があったか、なかったか」と聞いてみると、大概の場合に、はっきりした記憶がない。故長岡将軍くらいの程度ならばこういう認識不足はないであろうが。
知人の家の結婚披露の宴に出席する。宅へ帰って「お嫁さんはきれいなかたでしたか」と聞かれれば「きれいだったよ」と答える。およそ、きれいでない新婦などは有り得ないのである。しかし、どんな式服を着ていたかと聞かれると、たった今見て来たばかりの花嫁の心像は忽然として灰色の幽霊のようにぼやけたものになってしまう。