寺田 寅彦
B教授の死
さわやかな若葉時も過ぎて、日増しに黒んで行く青葉のこずえにうっとうしい微温の雨が降るような時候になると、十余年ほど前に東京のSホテルで客死したスカンジナビアの物理学者B教授のことを毎年一度ぐらいはきっと思い出す。しかし、なにぶんにももうだいぶ古いことであって、記憶が薄くなっている上に、何度となく思い出し思い出ししているうちには知らず知らずいろいろな空想が混入して、それがいつのまにか事実と完全に融け合ってしまって、今ではもうどこまでが事実でどこからが空想だかという境目がわからない、つまり一種の小説のような、というよりもむしろ長い年月の間に幾度となく蒸し返された悪夢の記憶に等しいものになってしまった。これまでにもなんべんかこれに関する記録を書いておきたいと思い立ったことはあったが、いざとなるといつでも何かしら自分の筆を渋らせるあるものがあるような気がして、ついついいつもそれなりになってしまうのであった。しかし、また一方では、どうしても何かこれについて簡単にでも書いておかなければ自分の気がすまないというような心持ちもする。それで、多少でもまだ事実の記憶の消え残っている今のうちに、あらましのことだけをなるべくザハリッヒな覚え書きのような形で書き留めておくことにしようと思う。
欧州大戦の終末に近いある年のたぶん五月初めごろであったかと思う。ある朝当時自分の勤めていたR大学の事務室にちょっとした用があってはいって見ると、そこに見慣れぬ年取った禿頭のわりに背の低い西洋人が立っていて、書記のS氏と話をしていた。S氏は自分にその人の名刺を見せて、このかたがP教室の図書室を見たいと言っておられるが