与謝野 寛

素描

おれは朝から寝巻の KIMONO のまヽで絵具いぢりを続けて居た。午飯も外へ食ひに出ないでホテルの料理を部屋へ運ばせて済ませた。まづい物を描いて EXTATIQUE な気分になれるおれの愚鈍さと子供らしさとを自分ながら可笑しく思はないで居られないが、またこの子供らしさが久しく沈んで灰色化して居るおれの LA VIE の上に近づいた一陽来復の兆のやうにも思はれる。実際、一ヶ月前に妻を先きに日本へ帰らせて以来のおれは毎日のやうにまづい絵を描いて居る。勿論おれの描く物が絵になつて居やうとは全く思はない。おれは小娘がリボンや小切れを嬉しがるやうに、※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ルミヨン、コバルト、オランジユ、とり/″\に美くしい色布の上へ点描するのが理由もなく嬉しいのだ。

――それにあの女が大分この EXTASE を助けて居る。

おれは描き上げた甜瓜と林檎を実物と見比べながら斯う思つて微笑みたい気分になつた。メロンは一昨日描いたのよりも円味が出て居る。林檎は可なり実物に近い色になつた。

静まり返つて居た梯子段の沈黙を破つて、洞の底からでも昇るやうな気はひで階また階をつたつて来た靴音が突然おれの部屋の前で止まつた。おれは誰れか同国人が訪ねて来たんだと思つて、絵を画架のまヽ裏向けて隠すやうにして壁の方へ寄せた。

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