芥川 竜之介
田端日記
〔八月〕二十七日
朝床の中でぐずついていたら、六時になった。何か夢を見たと思って考え出そうとしたが思いつかない。
起きて顔を洗って、にぎり飯を食って、書斎の机に向ったが、一向ものを書く気にもならない。そこで読みかけの本をよんだ。何だかへんな議論が綿々と書いてある。面倒臭くなったから、それもやめにして腹んばいになって、小説を読んだ。土左衛門になりかかった男の心もちを、多少空想的に誇張して、面白く書いてある。こいつは話せると思ったら、こないだから頭に持っている小説が、急に早く書きたくなった。
バルザックか、誰かが小説の構想をする事を「魔法の巻煙草を吸う」と形容した事がある。僕はそれから魔法の巻煙草とほんものの巻煙草とを、ちゃんぽんに吸った。そうしたらじきに午になった。