太宰 治
乞食学生
大貧に、大正義、望むべからず
――フランソワ・ヴィヨン
第一回
一つの作品を、ひどく恥ずかしく思いながらも、この世の中に生きてゆく義務として、雑誌社に送ってしまった後の、作家の苦悶に就いては、聡明な諸君にも、あまり、おわかりになっていない筈である。その原稿在中の重い封筒を、うむと決意して、投函する。ポストの底に、ことり、と幽かな音がする。それっきりである。まずい作品であったのだ。表面は、どうにか気取って正直の身振りを示しながらも、その底には卑屈な妥協の汚い虫が、うじゃうじゃ住んでいるのが自分にもよく判って、やりきれない作品であったのだ。それに、あの、甘ったれた、女の描写。わあと叫んで、そこらをくるくると走り狂いたいほど、恥ずかしい。下手くそなのだ。私には、まるで作家の資格が無いのだ。無智なのだ。私には、深い思索が何も無い。ひらめく直感が何も無い。十九世紀の、巴里の文人たちの間に、愚鈍の作家を「天候居士」と呼んで唾棄する習慣が在ったという。その気の毒な、愚かな作家は、私同様に、サロンに於て気のきいた会話が何一つ出来ず、ただ、ひたすらに、昨今の天候に就いてのみ語っている、という意味なのであろうが、いかさま、頭のわるい愚物の話題は、精一ぱいのところで、そんなものらしい。何も言えない。私の、たったいま投函したばかりの作品も、まず、そんなところだ。昨日雪降る。実に、どうにも、驚きました。どうにも、その、驚いたです。雨戸をあけたら、こう、その、まあ一種の、銀世界、とでも、等と汗を拭き拭き申し上げるのであるが、一種も二種もない、実に、愚劣な意見である。どもってばかりいて、颯爽た