宮本 百合子
作品の主人公と心理の翳
この頃、折々ふっと感じて、その感じが重るにつれ次第に一つの疑問のようになって来ていることがある。
それは、この節何となし小説の主人公が年とった人物に選ばれている傾きがあるように思われることについてである。
広津和郎氏の「歴史と歴史との間」の主人公にしろ、この間の丹羽文雄氏の作品「怒濤」にしろ、主人公はみんな年とっている。それもただの爺さんというのではなくて、一ひねりもふたひねりをもして人生に生き経た年よりで「怒濤」では、我から示す老いさらぼいを、表面はうっすりつめたい一つの顫える虚無のように周囲から際立たせている年寄が描かれている。作者はその作者なりの気魄をこめてそういう手のこんだ老境を描いているのである。
そうやって描かれた作品の世界が、これまでの丹羽氏の作品がよきにつけ悪しきにつけ持っていた生の肌合いを失って、室生犀星氏の或る種の作品を髣髴とさせることにも、この作品としての問題はひそんでいるのだろう。けれども、なおそれより私たちの心にひっかかって来るのは、やはり、今日作家が自分たちの小説の主人公にこういう風な一ひねりした老人をもって来る、その心理だと思う。