狩野 亨吉

漱石と自分

夏目君のことを又話せといふが、どんなことにしろ物事の眞相が誤まらずに傳へられることは稀であり、その上近來甚だ記憶が不確であるからあんまり話をしたくない。

夏目君に最初に會つたのは死んだ山川信次郎氏の紹介であつたと思ふ。尤もこれよりも前に自分が全然關係が無かつたといふわけでもない。日本で最初に中學校令の發布によつて出來た東京府第一中學に、明治十二年に自分は入學したのであるが、その折夏目君も又同じ學校に入つてゐた。しかしその頃は無論お互に知らずに過ごして何の記憶もない。

この學校には、正則科と變則科といふのがあつて、自分は變則科で夏目君や幸田露伴氏などは正則科であつた。變則科といふの方は一切を英語でやることになつて居り、正則科はさうでない。この學校に一緒にゐたのが後年の文部省畑の連中で岡田良平、上田萬年、澤柳政太郎などであつた、時々自分などがさういふ連中とともに名前を引ぱり出されたのはそんな因縁によるものだらう。

夏目君は大學卒業後、傳通院の傍の法藏院といふのに菅君が前にゐた關係から下宿したが、そこは尼さんが出入りすると言つて、それを恐れてどうも氣に入らぬ、それでは俺のところへ來いと、菅君がその頃住つてゐた指ヶ谷町の家へ引ぱつて行つた。そこで最初に菅君を驚かすやうなことがあつたのだが、それは菅君が一番詳しく知つてゐる事で、自分が語るべきではない。

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