宮本 百合子

婦人の生活と文学

日本の社会の空気が、いくらかのびのびと各人の心持を表現させるようになってから、一年と少しの時が経った。けれども文学の面に、案外新人の進出が目ざましくない。この事実について、多くの注目がむけられている。新人の進出が思うほどはかばかしくないということのなかに、婦人の作家、詩人、戯曲家なども、どうして続々と出て来ないのだろうという疑問がふくまれているのである。

この数年間に、日本の女性が経験したことといえば、その人々一人一人にとって未曾有のことであった。同時に、日本の婦人の歴史にとって未曾有のことであった。行きずりの若い女の人の話がふと耳に入ると、その言葉の中には、その人が引揚げて来た遠い国の地名がいわれていたりする。生活経験というものだけが、文学を創る可能性であるなら、日本に婦人作家は輩出しなければならない。どんな人でも、語るべき一つの物語はもっているのだから。

青年たちにしても、そうだと思う。今日二十代の人々の若い人生には、経験したこと、といえば実にどっさりのものがある。だのに、若い文学の領域をいくような新鮮な力で、それらは創作の活動に表現されて来ていないのである。何故だろう。

少くとも文学の感じがわかっている心は、自分が経験して強く印象され感銘されたことだからというだけで、それを書いたところで、文学として意味がないということを理解している。では、その人間的な感動を文学であらしめるものは何か、という点になると、これまでの文学の解釈は十分答を出しきっていない。文学的な才能という、ありふれた、そして、有害な言葉が、そこへのって来る。特に、婦人は、才能がある、ない、ということにかかわっ

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