宮本 百合子

女性の歴史

私たちが様々の美しい浮き彫の彫刻を見るとき、浮き彫はどういう形でわたしたちに見られているだろうか。浮き彫の浮きあがっている面からいつも見ている。けれどもその陰には浮き上っている厚さだけの深いくぼみがある。人生も浮き彫のようで、光線をてりかえして浮き上っている面の陰には、それだけへこんだ面があり、明るさがあればそれに添った影がある。

文学は人生社会の諸相を、眼の前にまざまざと見え感じるように描き出す。そこで社会の明るさと暗さはどういう関係において見られるのだろうか。ここに文学の新しい見方があると思う。婦人と文学という問題をとりあげて、それを人類と文学の歴史という問題から見てくると、第一に何故世界の婦人は、これまで男のひとたちよりも文学史的活動をしてこなかったのだろうかという疑問が起って来る。婦人の文学における立場は、知られているとおり、文学史の第一ページから男によって描かれるものとしての婦人であり、創作の対象としてとりあげられている婦人である。このことは意味深い事実だと思う。世界文学の最も古典のものとしていつも語られるギリシアの詩人ホーマーの「イリアード」のなかに、この描かれるものとしての第一の女性が現われている。「イリアード」の中のヘレネは非常に美しく、美しい女性の典型として描かれている。ヘレネは美しさにおいては、ヴィナスのようにも美しかったのであろうが、社会的な存在としてホーマーが彼女を描いているところをみれば、美しきヘレネは当時の支配者たちの、闘争における一人の「かけもの」のような立場におかれている。世界文学にあらわれた第一の女はそのような争奪物としての位置であり「イリアー

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