宮本 百合子
平和運動と文学者
私は体を悪くして、去年の夏から、いろいろな講演をお断りしてまいりました。けれども今日は昨日と今朝の新聞を見まして、どうしても、一言皆さんと一緒に話して考えたいことがあったものですから、いわば少し無理をしてきているのです。大変失礼ですけれども腰掛けさせていただきます。
今日、私どもが、自分達の生活を少しでも民主的にして、文学も人間らしい文学を作っていきたいと思っております時に、昨日や今日の新聞は私たちに何を感じさせたでしょうか。戦争が済んでからもう三年たち四年目になりつつありますが、その年の終りに極東裁判が終結しまして、そうして七人の首謀者達は処刑されました。一応それでもう日本のいままでの十数年間続いていた暗い、重い、人間らしくない、私どもの命も生活も文化も自分たちに確保されていなかった生活は終りがきたようにみえますけれども果してそうでしょうか。昨日と今朝の新聞を御覧になった皆さんに聞いてみたいと思います。あの新聞を御覧になった皆さん方は一九四九年という年がほんとうにはっきりと、より民主的な日本に進みつつあると期待おできになったでしょうか。私はそうは思わなかったのです。なぜかと申しますと、たとえば新聞は処刑された東條の葬式についてあれだけ、いわば華やかに写真を載せております。それから処刑された人の家族にいろいろの話を聞いてインターヴューしております。特に東條の家族はなんといっているでしょうか。「お父さんは死んだのではありません、生きたのです、なぜならば、彼は最後まで信念を守りましたから」といっております。それが、民主国たろうとする日本の新聞に出ていることにおどろかない人があるでし