宮本 百合子

科学の常識のため

コフマンの「科学の学校」が、神近市子の翻訳で実業之日本社から出版された。訳者からおくられた一冊を手提袋に入れてよそへ出かける電車の中だの、待っている間だのに読んでいるうち、この小さい本をめぐって私の感興はいろいろに動かされた。

「はしがき」にいわれているとおり、著者レイモン・コフマンというアメリカの社会教育者は、ほかに「人類文化史物語」という世界的な名著をもっていて、それはやはり神近さんが訳して岩波文庫に二冊で出ている。

コフマンの目ざすところは「何でも必要な事実だけ、科学的な事実だけをそれもなるべく早く知らせてそれに子供たちの興味を起させ、その興味の成長によって大きくなった子供たちが、健康な人生の内容を、自分で形づくって行くよう」に導いて行こうというにある。コフマンはこの一貫した方針に立って、レイ小父さんという名で年少者のために十数年来活動して来ている人なのだが、彼が特に年の小さいものたちを、希望と期待との対象としたのはどういうわけからであったろう。

我々が住んでいる今日の文明は、昔に比べればずいぶん進歩したものだとおどろかされる部分が多い。二十年前の祖母たちの娘時代にはなかった日常のさまざまの便利、よろこびが加わって来ていて、今日の娘たちの生活も豊富にされていることは疑えない事実であると思う。だけれども、その半面には、進歩が常にその後にひっぱっている過去からの尻尾というものもあって、その尻尾は、電気力の利用という風なものの発達のスピードに合わせてはよりテンポののろい進みかた、変化のしようで私たちをとり囲む常識のなかにかくされている。かくれてはいるけれども、何かの折にはその尻

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