宮本 百合子
新しい美をつくる心
この頃いったいに女のひとの身なりが地味になって来たということは、往来を歩いてみてもわかる。
ひところは本当にひどくて、女の独断がそのまま色彩のとりあわせや帽子の形やにあらわれているようで、そういう人たちがいわば無邪気であればあるほどこちらで何となし顔のあからむような思いもないことはなかった。たとえば帽子の型のある奇抜な面白味というようなものは、それを頂いている顔に漲っている知的な趣、体のこなし全体に溢れる女としての複雑な生活的な勁さ、ニュアンスなどとあいまって美しさとなるのだから、体の生活的感覚はそういうものからずっとおくれているのに、頭の上にだけそんなかたちがのっていると、みじめな滑稽があった。
そういう眺めはこの頃の往来にはなくなった。また、たくでは近頃景気がいいんですのよ、という風体だった細君連も、ちがった姿となっている。
そして、これらの変化にはやはり贅沢禁止のいろいろな運動が役にたっているにちがいないのだろう。街のプラタナスの今年の落葉は、「簡素のなかの美しさ」という立看板に散りかかっている。パン屋や菓子屋の店さきのガラス箱にパンや菓子がないように、女は自分の帽子なしで往来を歩いていても不思議がらないような日々の感情になって来た。