宮本 百合子

微妙な人間的交錯

今日の雑誌ジャーナリズムは、大ざっぱにだけ眺めわたすと満目悉く所謂事変ものの氾濫である。すべての雑誌の表紙は刺戟的なグラビア版で赤や黒のフラッシュのついた文字で彩られているようなのであるけれども、そうかといって単純にキングと文芸春秋とは全く等しい傾向をもって、戦時特輯をしているかと云えば、そうでないことは自明である。

ここに極めて複雑である今日の雑誌ジャーナリズムの感覚とひいてはジャーナリストそのものが現代に処する文化的相貌の複雑さが反映していると思う。日本の文化、民衆の道は難航である。それがそっくりジャーナリズムに現れている。

明治の初頭、ジャーナリストたらんとした人々、或はジャーナリズムに関係しようとした人々は、当時の日本文化の進歩に対して国際的な又進歩的な信念をもっている人々であった。社会事情がそのような自信を可能にした。

この社会の木鐸をもって任じた雑誌ジャーナリズムは、先ず経営の方面から近代資本の力に支配されはじめ、当時から見れば二代目或は三代目の今日のジャーナリズムは、更に歴史の推進によって、資本の力と、その力を強め守ろうとする二重の力に少からず左右されなければならない事情のもとに置かれている。

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