宮本 百合子
“健全性”の難しさ
この間田舎へかえる親戚のもののお伴をして珍しく歌舞伎座を観た。十一月のことで、序幕に敵国降伏、大詰に笠沙高千穂を据えた番組であった。
この芝居をみていて深く感じたことは演劇のとりしまりや自粛がどんなに芸術の生命を活かすものでなければならないか、ということであった。
云わでものことのようなことを沁々と思わずにいられないものがあった。従来の歌舞伎の番組には徳川末期的の世情を映したものもあり、現代の生活感情に遠いものがあったのは事実だけれど、十一月の新作ものの序幕や大詰では初めから演劇というものの独特な表現を思いあてたような空虚さがあった。
種々の条件が加わっても、やはりそこはそことして何か訴える演劇をもとうと試みる情熱がなかった。しかもそんな芝居でも、見物は満員である。俳優たちは、何となしそんな関係におかれている自分の舞台にうすら寒いものを感じているだろうとも思われた。