宮本 百合子

今年こそは

わたしたち日本の人々は、いつもお正月になると、互に、おめでとう、と云いあって新年を祝う習慣をもっております。これまで戦争のなかで迎えた不安な、切ないいく度かの正月を、わたしたちは、おめでとうとも云えませんわね、と云って迎えながら、やはりその言葉のうちにはおめでとうという文句をいれていました。

一九四六年の正月、つまり一昨年のお正月は、ほんとに何年ぶりかで、まあまあ心からおめでとうと云えた新年であったと思います。もちろん、日本の歴史の複雑な切り替えのときにあたって、そのおめでとうのかげにはどっさりの思いがこめられました。特に、「ああ、やっと平和な元日が迎えられる。」と思ったとき、この平和な元日の朝にこそ、その顔をみたい大切な男の人々を団欒の中から失っている日本の数百万の婦人の胸のなかはどんなだったでしょう。

この深い思いは、決して日本の婦人、イタリーやドイツの婦人たちだけの思いではありませんでした。ファシズムに対してたたかって、それに勝利したすべての民主的な国々にも、戦争による未亡人はどっさり出来ました。一九四六年の新しい年は、世界じゅうの女性の、云いつくせない思いとともに、日本の私たちのおめでとうも云いかわされたのでした。

去年の正月、わたしたちはどんな気持で、おめでとうを云ったでしょう。あけましておめでとう、と云いながら、ほほえみ合う顔に疑問のかげがありました。一九四六年一年間の社会のなりゆきは、わたしたち婦人の生活に、まざまざとした疑問の種を植えたからでした。

青空文庫の作品カード