宮本 百合子

木の芽だち

この頃は、日本じゅうのあちらこちらの都会を中心として、文化的な動きが著しくなって来ている。

これ迄、その町から一冊の雑誌も出ていなかったようなところからも、かなり念の入った出版物が発行されるようになった。東京そのほかの大都会は破壊された。地方の小都市は、その犠牲からまぬがれた。そこには様々の理由から紙がある。印刷所がある。民主日本の新らしい潮はそれらの条件にさし加って、若い世代を中心とした文化の動きが見られるようになって来たというのが、一応の事情である。

けれども、この文化の中心の全国的な散開という新しい事実には、それだけの現象にとどまらず、明日の日本にとって、私たちの明日のよろこばしい生活にとって、深甚な意味をもっていると考えられる。

アメリカは勿論のこと、イギリスでもフランスでも、文化の中心は決してただ一ヵ所の首都に集注されてはいない。ボストンだけが文化の中心ではないし、パリだけが文化の中軸をなしていると云えない。それぞれの国は、各地方に、独自的な伝統と特色とをゆたかにもちながら全体としてその国の人民の宝として十分評価されるだけの文化をもって来ている。それは、昔のヨーロッパが、封建諸王によって分割統治されていた時代の首都が、既に一定の文化水準に達していたということも原因である。けれども、もっと重大なことは、それらの封建都市は、やがて近代社会の発達とともに次第に市民的都市となって行ったという歴史である。経済の上に、従って政治的権力の上に、自分たちの意志を明瞭に反映しはじめた近代第三階級(ブルジョア)としての市民たちが、自身の活溌な精神の表現として、自分たちの市に、大学を建て、

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