宮本 百合子
戦争でこわされた人間性
このごろの強盗殺人の特色は、件数が多いばかりでなく、事件の性質が戦争以前とまったくちがっていると思う。それは方法が非常に兇暴になっていることである。人を殺してまで物をとるということは、私達の常識では物とりの極限であった。シロウトの強盗は昔からこわいといわれてきたのは、ただでさえおびえて人の家へ忍びこんだ者が相手に眼をさまされて、こわさで夢中になって相手を殺傷するからであった。
ところが、この頃の強盗殺人は、いつもかならず人を殺さなければならないほどの動機がないものがふえてきている。物さえとって、金さえ手に入れて、あるいはサギさえうまくものになればよかりそうなものだのに、実によく殺す、いかにも殺しなれたように殺す、殺すことに恐怖がないように殺す、これはなぜであろうか。
私たちはまじめにかんがえて見なければならない。警察のトリ物以外の、人間の生きている心の問題として、まじめにかんがえなければならないと思う。
戦争とは何であったろうか。それは、生かすことであったか、殺すことであったか。日本から赤紙一枚で前線に送られた兵士たちは、平和な日常生活の習慣から切りはなされ、国家の権力で殺すことを命じられ、その方法を教えられ、人を殺すことについて人間の当然感じる恐怖心を麻痺させる訓練を日夜つまされた。東京裁判の記事を見ても、信じられないほど、殺すための殺人がおこなわれ、ハッキリした理由とか、憎悪とかいうものなしにさえも、人間を片づける心理がやしなわれたことがわかる。