加福 均三
希臘及び羅馬と香料
希臘の大昔には美しい『にほひ』は神聖なる存在として貴ばれた。そして香料に関しての諸般の知識は美の神アフロディーテの使ひ女エオーネの無分別から人間界に過つて伝へられたと云はれて居る。それは兎も角も、昔の希臘では上流人は特に香料を愛好し、毎日香油を身体にぬる風習があり、従つて希臘全盛時代に於ける香料の消費額は莫大なものであつた。神々を祭るに必ず香料香華を捧げ、葬儀や祝祭に際しては特によい香料や香水を多量にふりまくのが自慢であつた。殊に大饗宴の時には主客諸共に香り高き薔薇の花冠を戴き、宴席を花綱で飾り、別に香炉を設けて薫香や香木を焚き、食物や飲料等迄も薔薇の花や薫の花で賦香すると云ふやうな次第であつた。
この風習は軈ては羅馬にまで波及し、先に述べた如く西暦第五世紀の頃には香料の濫費を戒しめる意味で、遂に消費制限の法令が出た程であるが、その最も盛んだつたのはネロ大帝の頃のことで、かのポッペアの葬礼に際して大帝が消費した香料の量は当時の香料国アラビアの一年の産額に匹敵するものであつたと云ふ。当時ローマの香料商は殷賑を極め、ミレプシと呼ばれて居た。何しろ富裕な市民は日に三回宛高貴な香油を身体中に塗ることを以て特権と心得、その度に美人の奴隷によい着物を着せて美しい香入れを持たせ、彼を召し連れて市設浴場テルメーに通ふのであつた。そして先づフリジダリウムと称する冷水プールに入つて心を冷やし、次にテビダリウムと云ふ暖房で一憩みし、それからカルダリウムと名づけられる蒸し風呂で出るだけの汗を出してしまひ、其処を出て冷水浴で汗を綺麗に洗ひ落し、最後にウンクツアリウムと称する部屋に行くと、奴隷が身体中を揉