桑原 隲蔵
歴史上より観たる南支那の開発
この論文を讀む人は、更に大正十四年十二月發行の『白鳥博士還暦記念東洋史論叢』中に收めた拙稿「歴史上より觀たる南北支那」(本全集[#「桑原隲蔵全集」]第二卷所收)を參照ありたい。
一
支那には古來南北の區別があつて、風俗・人情・地味・物産等百般に渉つて、顯著なる相違を有して居る。この南北の區別を基礎として、歴史上より南支那開發の蹟をたづぬることは、可なり興味深い問題と思ふ。
一體支那の古代に於て、純支那人ともいふべき漢族の根據地は、黄河流域の北支那に限つたものである。彼等はその根據地を中國とか中夏とか、又は華夏とか誇稱したが、そは今の河南省を中心とした北支那の異名に過ぎぬ。當時揚子江沿岸の南支那は、蠻夷の域として擯斥されて居つた。