芥川 竜之介

骨董羹

別乾坤

Judith Gautier が詩中の支那は、支那にして又支那にあらず。葛飾北斎が水滸画伝の※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)画も、誰か又是を以て如実に支那を写したりと云はん。さればかの明眸の女詩人も、この短髪の老画伯も、その無声の詩と有声の画とに彷弗たらしめし所謂支那は、寧ろ[#「寧ろ」は底本では「寧ろ」]彼等が白日夢裡に逍遙遊を恣にしたる別乾坤なりと称すべきか。人生幸にこの別乾坤あり。誰か又小泉八雲と共に、天風海濤の蒼々浪々たるの処、去つて還らざる蓬莱の蜃中楼を歎く事をなさん。(一月二十二日)

軽薄

元の李※[#「行がまえ<干」、69-上-16]、文湖州の竹を見る数十幅、悉意に満たず。東坡山谷等の評を読むも亦思ふらく、その交親に私するならんと。偶友人王子慶と遇ひ、話次文湖州の竹に及ぶ。子慶曰、君未真蹟を見ざるのみ。府史の蔵本甚真、明日借り来つて示すべしと。翌日即之を見れば、風枝抹疎として塞煙を払ひ、露葉蕭索として清霜を帯ぶ、恰も渭川淇水の間に坐するが如し。※[#「行がまえ<干」、69-下-4]感歎措く能はず。大いに聞見の寡陋を恥ぢたりと云ふ。※[#「行がまえ<干」、69-下-5]の如きは未恕すべし。かの写真版のセザンヌを見て色彩のヴアリユルを喋々するが如き、論者の軽薄唾棄するに堪へたりと云ふべし。戒めずんばあるべからず。(一月二十三日)

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