芥川 竜之介

鸚鵡

これは御覧の通り覚え書に過ぎない。覚え書を覚え書のまま発表するのは時間の余裕に乏しい為である。或は又その外にも気持の余裕に乏しい為である。しかし覚え書のまま発表することに多少は意味のない訣でもない。大正十二年九月十四日記。

本所横網町に住める一中節の師匠。名は鐘大夫。年は六十三歳。十七歳の孫娘と二人暮らしなり。

家は地震にも潰れざりしかど、忽ち近隣に出火あり。孫娘と共に両国に走る。携へしものは鸚鵡の籠のみ。鸚鵡の名は五郎。背は鼠色、腹は桃色。芸は錺屋の槌の音と「ナアル」(成程の略)といふ言葉とを真似るだけなり。

両国より人形町へ出づる間にいつか孫娘と離れ離れになる。心配なれども探してゐる暇なし。往来の人波。荷物の山。カナリヤの籠を持ちし女を見る。待合の女将かと思はるる服装。「こちとらに似たものもあると思ひました」といふ。その位の余裕はあるものと見ゆ。

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