宮本 百合子

父の手帳

父は建築家の中でも、書斎で勉強するたちの人でなく、人間の住む家を、様々なその必要の条件にしたがって、事務的に、家族的に、趣味的に建ててゆくという現実の進行を愛したたちでした。そういう気質はいかにも設計家にふさわしい特徴をもっていて、西洋の諺に弁護士と作家と建築家の妻にはなるな、とある、そういう几帳面さを、一面にもっていました。

仕事は事務所で、というのが終生の暮しかたでした。事務所では忙しがっているからというわけか、事務所の仕事に直接関係のある用事のかたが、夜や朝早く、日曜の朝など早く来られると、事務所の用事は事務所で伺うことにしていますからと、おことわり申しました。押しかえし、一寸でよかったらと云われても、譲歩しない。やはり何度でも事務所でと答え、後年は、そういう習慣が世間一般にも少なくなったので、早朝のお客様との押し問答が稀れになりました。

夕刻事務所から早く帰った日には、皆でテーブルを囲んで夕飯をたべ、後は談笑したり、音楽をきいたり、興に乗じると、昔ロンドンでアーヴィングが演ったハムレットの真似だと云って、芝居の真似をしたり、賑やかでした。喋っても、癇癪を起しても陽性でした。いつも活気があり、流動があり、些の感傷と常套もあって、父は親密な温い父でした。

私が九つか十位から十年間ばかり、私がまだ父と一緒の家に暮していた間、朝父の出がけの身仕度をするのが私の楽しい任務でした。お洒落ではなかったが、髭は必ず毎朝剃り、カラアは毎朝とりかえ、ホワイト・シャツも一日おき位にとりかえ、そのホワイト・シャツのカフス・ボタンをはめるのが私の役でした。その頃は今のようにソフトをつかわず、西洋

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