宮本 百合子
映画
雨傘をさし、爪革のかかった下駄をはいて、小さい本の包みをかかえながら、私は濡れた鋪道を歩いていた。夕方七時すぎごろで、その日は朝からの雨であった。私は、その夜手許におかなければならない本があったし、かたがたうちにいるのがいやで、外に出て来たのであった。自分が親切と思ってしたこと、そのことが思っていたような結果としてはあらわれず、自分が自分の親切に甘えたということばかりが思い当るような気持のことがあって、私はうちにいたくなかった。そして、雨の外を歩いていた。
いろいろの心持を感じながら歩いていて、或る通りのわきに出たら、そこの映画館の方で頻りにベルが鳴りつづけている。割引のしらせである。
思いついて、私は一つの広い改正道路を横切って、銀映座の前へ行った。雨傘をさして外套の襟などを立てた黒い人の列が、そう大して人通りのない横丁のこっちの端までのびている。列のなかには派手なマフラーをした若い女のひともいたりして、傘が傾くと、別に連れもないらしい白い顔がぽつねんと見える。まだ切符は売り出していないのであった。
その時間からは、「女人哀愁」というのとニュースとが見られるわけである。私は特別にその映画を目ざして行ったのではなかったが、観てもいいという心持で、列の最後の方にまわって傘をさしたまま往来に立っていた。