宮本 百合子
働くために
この頃は日本の女の服装について、簡単であること、働きよいこと、金をかけないことがどこででも云われている。大変着物に凝っている人たちが、昨今はそれらを又新しい工夫の条件にとりいれて違った形での数奇を示しているのや、それとは全く反対に、衣服は肉体をつつむ袋なりとでもいうように、何でもモンペの観念にひきつけてばかり考案されている単調さも、私たちの生活の現実とは何となしに遠い。
ごく大ざっぱに云って、私たち人間は皆一日のうち何時間か働いて、何時間かは休息しつつ生活している。着物もつまりは、その生活の二つの基調に適合した変化が必要だし、その必要をみたすことが衣服の最低の条件なのだろうと思う。
簡単服という言葉はホーム・ドレスを意味する日本名だが、日本の女性たちの生活は、働き着として朝身につけたその簡単着を、いつ、くつろぎ着にかえる時間と余裕とをもっているだろうか。
家の掃除をしたり洗濯をしたりするときホーム・ドレスで大働きをする主婦たちは、昼飯でもすんでからは、すこし気持のちがう午後の服に着かえるのが、洋服暮しの国々での普通の習慣である。そして、夜もうお客もないくつろぎの時間には、ゆったりとした寛衣にかえて、床に入る迄の休息を楽しむ。男のひとたちにしろ、その時刻には窮屈な上着はぬいで部屋着にくつろぐのである。