宮本 百合子

大町米子さんのこと

はじめて大町米子さんにあったのは、いまから十年ばかりまえのことであった。友達から紹介されて、うちへいらした。夏の夜だったとおもう。団扇をつかいながらいろいろ話がでて、大町さんはだんだん自分のくるしい境遇のことや、結婚の問題についてはなした。そういう問題をはなすについても、大町さんの正直さ、人間として一番よく生きてゆこうとしている熱意が感じられ、親愛と信頼とを感じた。大町さんは、けっきょく、もっとも責任のある愛情のえらびかたをして生活条件とすれば困難のより多い故大町氏との結婚を決心したのであった。

結婚した大町さんは、病臥生活の良人について、愛知県の田舎の町の良人の生家へゆきそこで七年以上くらした。解放運動のために健康を失い、経済的基礎もうしなった者が、そういう点で理解のとぼしい田舎町へかえってくらすこころもちには、実にいいあらわされないくるしみがある。まして、その人の妻としての大町米子さんの立場、日々のおもいは察するにあまるものがある。米子さんは、国民学校へつとめて病夫と自分の生活をささえ、大町氏の最後までかわることない真心をかたむけつくした。

大町さんは、御良人の葬儀がおわるとほとんどすぐ上京して来た。そして、「ほんとうに、しばらく……」と力をこめていって、あとは何もいえず、しずかに涙をこぼした大町さんの姿を私が忘れることはあるまいと思う。

あわずにいた何年かのあいだに、大町さんはみちがえるほど立派になった。こまかいさまざまの辛苦が、大町さんの誠実な人柄のうちにうけいれられ、こなされ、選択され、方向をととのえ、明日の日本のよりよい生活の建設のために献身する女性として、十分の厚

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