芥川 竜之介
母
一
部屋の隅に据えた姿見には、西洋風に壁を塗った、しかも日本風の畳がある、――上海特有の旅館の二階が、一部分はっきり映っている。まずつきあたりに空色の壁、それから真新しい何畳かの畳、最後にこちらへ後を見せた、西洋髪の女が一人、――それが皆冷やかな光の中に、切ないほどはっきり映っている。女はそこにさっきから、縫物か何かしているらしい。
もっとも後は向いたと云う条、地味な銘仙の羽織の肩には、崩れかかった前髪のはずれに、蒼白い横顔が少し見える。勿論肉の薄い耳に、ほんのり光が透いたのも見える。やや長めな揉み上げの毛が、かすかに耳の根をぼかしたのも見える。
この姿見のある部屋には、隣室の赤児の啼き声のほかに、何一つ沈黙を破るものはない。未に降り止まない雨の音さえ、ここでは一層その沈黙に、単調な気もちを添えるだけである。