幸田 露伴
鵞鳥
ガラーリ
格子の開く音がした。茶の間に居た細君は、誰かしらんと思ったらしく、つと立上って物の隙からちょっと窺ったが、それがいつも今頃帰るはずの夫だったと解ると、すぐとそのままに出て、
「お帰りなさいまし。」
と、ぞんざいに挨拶して迎えた。ぞんざいというと非難するように聞えるが、そうではない、シネクネと身体にシナを付けて、語音に礼儀の潤いを持たせて、奥様らしく気取って挨拶するようなことはこの細君の大の不得手で、褒めて云えば真率なのである。それもその道理で、夫は今でこそ若崎先生、とか何とか云われているものの、本は云わば職人で、その職人だった頃には一※(小書き片仮名ト、1-6-81)通りでは無い貧苦と戦ってきた幾年の間を浮世とやり合って、よく搦手を守りおおさせたいわゆるオカミサンであったのであるし、それに元来が古風実体な質で、身なり髪かたちも余り気にせぬので、まだそれほどの年では無いが、もはや中婆ァさんに見えかかっている位である。