幸田 露伴

太郎坊

見るさえまばゆかった雲の峰は風に吹き崩されて夕方の空が青みわたると、真夏とはいいながらお日様の傾くに連れてさすがに凌ぎよくなる。やがて五日頃の月は葉桜の繁みから薄く光って見える、その下を蝙蝠が得たり顔にひらひらとかなたこなたへ飛んでいる。

主人は甲斐甲斐しくはだし尻端折で庭に下り立って、蝉も雀も濡れよとばかりに打水をしている。丈夫づくりの薄禿の男ではあるが、その余念のない顔付はおだやかな波を額に湛えて、今は充分世故に長けた身のもはや何事にも軽々しくは動かされぬというようなありさまを見せている。

細君は焜炉を煽いだり、庖丁の音をさせたり、忙がしげに台所をゴトツカせている。主人が跣足になって働いているというのだから細君が奥様然と済してはおられぬはずで、こういう家の主人というものは、俗にいう罰も利生もある人であるによって、人の妻たるだけの任務は厳格に果すように馴らされているのらしい。

下女は下女で碓のような尻を振立てて縁側を雑巾がけしている。

青空文庫の作品カード