寺田 寅彦
人の言葉――自分の言葉
一
「おおかた古を考うる事、さらに一人二人の力もてことごとく明らめ尽くすべくもあらず。またよき人の説ならんからに多くの中には誤りもなどかなからん。必ずわろき事もまじらではえあらず。そのおのが心には、今は古の心ことごとく明らかなり、これをおきてはあるべくもあらずと思い定めたることも、思いのほかにまた人の異なるよき考えもいで来るわざなり。あまたの手を経るまにまに、さきざきの考えの上をなおよく考えきわむるからに、次々にくわしくなりもて行くわざなれば、師の説なりとて必ずなずみ守るべきにもあらず。よきあしきをいわず、ひたぶるに古きを守るは、学問の道には、いうかいなきわざなり。」(本居宣長『玉かつま』)
この初めの「古を考うる事」というのを「物理学上のいかなる問題にても」と改めて、もう一ぺんはじめから読み返してみるとおもしろい。この宣長の言葉をかみしめる事をすべての科学の研究者にすすめたい。これを味わってみれば、自分一人である問題を解決しようとして一生何も貢献せずに終わり、あるいは恥をかく事もなく、めいめいの分に応じた仕事を楽しむ事ができそうである。
二