田中 貢太郎
幽霊の衣裳
三代目尾上菊五郎は怪談劇の泰斗として知られていた。其の菊五郎は文化年代に、鶴谷南北の書きおろした『東海道四谷怪談』を木挽町の山村座で初めて上演した。其の時菊五郎はお岩と田宮の若党小平、及び塩谷浪人佐藤与茂七の三役を勤めたが、お岩と小平の幽霊は陰惨を極めたもので、当時の人気に投じて七月の中旬から九月まで上演を続けた。
其の後天保になって菊五郎は、堺町の中村座の夏演戯で亦『四谷怪談』をやる事になり、新機軸を出すつもりで、幽霊の衣裳に就いて考案したが、良い考えが浮ばなかった。
ちょうど其の時、中村座に関係していた蔦芳と云う独身者がいた。それは、演戯茶房蔦屋の主翁の芳兵衛と云う者であったが、放蕩のために失敗して、吉原角町河岸の潰れた女郎屋の空店を借りて住んでいた。
蔦芳は中村座の開場が近くなったので、毎日吉原から通っていたが、某日浴衣が汗になったので、更衣するつもりで二階の昇口へ往ったところで、壮い男が梯子段へ腰をかけていた。蔦芳は自分にことわらないで、あがりこんでるのは何人だろうと思って見たが、夕方で微暗いのではっきり判らなかった。