豊島 与志雄
少年の死
十一月のはじめ夜遅く馬喰町の附近で、電車に触れて惨死した少年があった。それが小石川白山に住む大工金次郎のうちの小僧庄吉だと分ったのは、事変の二日後であった。惨死はこの少年の手ではどうすることも出来ない運命の働きであったらしい。
庄吉は巣鴨の町外れの小百姓の家に生れて育った。三つの時に母を失い、九つで父に死なれたので、彼はその時から父の遠縁に当る金次郎の家に引取られた。
金次郎の家は極めて貧しい其日暮しであったので、庄吉は其処に引取られてからは小学校も止してしまった。そして特別な金次郎の計いで年期にも上らないで、よく彼に連れられて棟梁の大留の仕事場に行って大工の見習をし、または家で使歩きをした。
彼は何も分らないでよく働いた。そしてよく眠った。毎朝金次郎の妻のおせいは彼を揺り起すのに眉を顰めた。