豊島 与志雄

現代小説展望

小説の本質

ある科学者がこういうことをいった――「科学に没頭していると人生の煩わしさを……人生そのものをも……忘れてしまう。科学は人生なしに成立する。それが、初めは淋しい気もしたが、この頃では却って嬉しい。」

淋しいか嬉しいか、それは別問題として、実際、科学は人生なしに成立する。人生がなくても……人間がいなくても……二つの点を結びつける線のうちでは直線が一番短いだろうし、空気は酸素や窒素やその他のものから出来てるだろうし、光は一秒間に約三十万キロ走るだろう。そういう事実を見出したのは人間であるが、事実そのものは人間の存在とは何の関係もない。

右のことは、数学や自然科学ばかりでなく、他の学問についてもいえる。肉体の細胞が如何にして癌に変化するかを、医学は説明する。夢の中で頭脳が如何に敏速な活動をなすかを、心理学は証明する。資本主義が如何なる機構の上に立つかを、経済学は解剖する。その他種々。然しながら、人間の肉体的現象が、或は精神的現象が、或は社会的現象が、如何に闡明されようとも、人間の「生きてるという感じ」は――生活感は――なおいえば、生活そのものは――視野の外に残されている。だから少々詭弁めいたいい方をすれば、人間生活がなくてもそれらの学問は成立する。恰度、芸術がなくても美学が成立するように。

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