豊島 与志雄

逢魔の刻

昔は、逢魔の刻というのがいろいろあった。必ずしも真夜中丑満の頃ばかりでなく、白昼かっと日が照ってる時、眼に見えぬ影――魔気――が街路を通っていったり、薄暗がりの夕方、魔物が厠に潜んでいたりした。

現在、吾々の生活にも――特に精神生活には、そういう逢魔の刻がいろいろある。「こんなことをして一体に何になるか。」というのがそれだ。物を書いたり、金儲けをもくろんだり、女と戯れたり、人類とか社会とかを考えたり、鍬を執ったり、ハンマーを振上げたり、とにかくいろんなことをしてる最中、ふと、「何になるか」というやつに出逢ったが最後、吾々の精神は白け渡って、溌剌たる生活力は萎微してしまう。

其奴は、真理の面と詭弁の面とを二重に被ってる恐るべき魔物だ。

この夏、或る日の午後私は、浅間山麓を迂廻してる草津旧街道の、小さな一軒の茶店に立寄った。電車や自動車が発達してからは、その旧街道を徒歩で辿るような閑な旅客は殆んどなく、野中に孤立してるその茶店に足を止めて、渋茶をすするような好奇な者はめったにない、というような慨歎を、茶店の主人は朴訥なお愛想の調子で私に話すのだった。

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