豊島 与志雄

文学に於ける構想力

文学は真実なものであらねばならぬこと、勿論である。この真実は、事実という言葉で置換出来ないことが明示する通り、現実の転位の場にあるのであり、現実の事実の面にあるのではない。

嘗て、文学の虚構とか小説の嘘とかが説かれた。この虚構も嘘も、不真実を意味するものではなかった。それはつまり、文学が現実の転位の世界に生きてることの例証である。

このことを、真面目な読者は感じているであろう。例えば、「悪霊」でスタヴローギン公爵の縊死に出逢い、或は更に写実的なものとされる作品、「ボヴァリー夫人」で、夫人の服毒死に出逢っても、読者は、彼もしくは彼女の現実的な死滅に当面しはしない。当面するのは彼等の生活破綻の結末現象にである。読者の誰も彼等の死体に取り縋って泣きはしない。彼等はそこに現在、そしてまだ将来にも、生きている。死は現実の転位の場にある。

「麦と兵隊」及びそれと同系列の作品は、記録的なものとされている。確かに記録的なものではある。然しそれが持つ真実性とか誠実性とかいうものは、事実の面にあるのではない。最も迫真力ある焦点的な場面が、如何ほど事実の線から構成の線へと外らされているかは、作者に問い糺してみるまでもなかろう。かかる場合の構成は、現実の転位の場に於て為される。

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